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建築工学専攻 博士前期課程2年 林 和典 「世界とものづくり ―林業と建築の研究を通して―」

建築工学コース4年 玉森 大也 「友人」

建築工学コース2年 柴垣 志保 「広い視野をもつこと」

注:本文章は、建築工学科目と社会基盤工学科目の合同OB・OG会組織「構築会」の会誌のための記事を転載したものです。

 ドイツの哲学者ハンナ・アーレントによると、相対的な永続性を持ち、世界に残り続けるモノを作る“仕事”と、生命活動を維持するためだけの“労働”の二つの区別が、近代社会においては無くなってしまった。仕事人は工作物を作り、世界を構築する。この耐久性のあるモノが、世界に残り続けるからこそ、彼が世界を去るときも、彼の記憶はモノに生き続けるのである。対して労働は、金銭価値に置き換えられるのみで、世界に何も残さない[A]。一方、現代の日本において、例えば、建築家岡啓輔は、設計と施工が分離され、失われた“ものづくり”を取り戻すために、現場での思い付きで、踊るように即興の建築を建設する[B]。さらに、昨今のDIYブームは、労働に疲弊しきった人々の、世界を構築する欲求の表れのように感じる。人々は労働ではなく、仕事を求めている。
 私は、林業と建築についての研究をしている。木を切るところから、製材され、住宅へと活用されていく過程を明らかにする研究である。日本のものづくり、そして木造住宅は、木によって支えられてきた。日本の文化は木であり、木が世界の風景を創り出してきた。ところが、林業は衰退し、山林は荒れ果て、かつてのような木造住宅は建設されなくなってしまった。林業は100年かけて木を育てる。祖父が植林した木を孫が切り、建築ができる。100年掛けて育った木材は100年もつと言われる。建築を100年、さらに孫の代まで使い続けることができる。木造住宅は、時代を超えて人々に受け継がれ記憶を残し、思いを託すことができる。たとえその住宅が壊されても、同じ風土の中で生成された建築の形式や他の仕事人が作ったモノたちが、記憶の風景を担保する。そうしてモノへの思いや記憶は受け継がれていく。
 しかし、経済原理に支配された消費社会では、木造住宅の耐用年数はわずか22年と言われ、スクラップアンドビルドが繰り返される。自らが生きた風景は悉く変化し、人々は寄る辺もなく、金銭を得、生命活動を続けるためだけに、労働を続ける。全てのモノが商品価値に置き換えられ、消費されることしかできない社会では、人はモノに想いを託すことができなくなった。
 私は、1/1Projectという、自分の手で作品を作る活動を研究と並行して取り組んでいる。完成したものが人々に使われている様子を見ると、感慨深いものを感じる。何かお金よりも大切なものがあるのではないか。経済成長や都市化によって無くなってしまったものがあるのではないか。今こそものづくりが必要とされているのではないか。山で研究をし、自らものづくりの現場に携わるにつれ、日々確信は深まっていく。

参考文献|[A]著:ハンナ・アーレント, 訳:志水 速雄. 「人間の条件」, ちくま学芸文庫, 1973|[B]岡 啓輔. 「バベる!」, 筑摩書房, 2018

 私は今、大阪大学で建築の勉強をしています。なぜ建築に進んだかというと、高校時代に自分の将来について考える機会が多くあり、そこで色々と調べていくうちに、建築の道に興味を持ち、大学でも建築について学びたいと思ったからです。
 2年生で建築のコースに進んだ当初は、期待に胸を膨らませていました。しかし、実際に授業が始まると、専門的で難しい内容に苦戦したり、初めて触れる内容ばかりで頭がいっぱいになったりで苦労しました。また、建築は製図課題があり、その課題のために夜更かしすることも多かったです。そんなときにいつも助けてくれたのは、同じ建築コースの友達でした。授業でわからないことがあれば丁寧に教えてくれたり、テスト前には授業内容をまとめたものをラインに貼ってくれたりして、何とか単位をとることができました。また、建築コースは40人弱で人数はそれほど多くなく、授業や課題期間中の製図室などでいつも一緒にいるので、とても仲が良く、テスト期間にみんなで集まって勉強したり、製図課題もみんなで雑談しながら進めたりして、楽しく建築を学ぶことができました。研究室に入った今でも、行き詰ったときはみんなにアドバイスをもらったりしてなんとかがんばっています。さらに、大学以外でも仲が良く、建築のメンバーで旅行に行ったり、ゲーム好きが多いのでみんなで通話しながらゲームしたりしています。
 私が建築コースでここまでやってこれているのは、間違いなく建築の友人達のおかげだと思っています。そんな友人達には感謝でいっぱいですし、これからも感謝することになると思います。私自身も、みんなに何か還元できることをできたらいいなと思います。そして、この友人関係を大切にして、大学在学中はもちろん、卒業して社会に出てからもずっと続いていく関係にしたいなと思います。
 最後になりますが、今回執筆の機会を頂き、大変光栄に思っております。今後とも精進していきたいと思っております。

 私は今年の夏休みに、9日間中国南部の雲南省にいってきました。これは現地のコーヒー豆製造会社を訪れ、その中で品質向上のための改善案を提案する、フィールドスタディという大学のプログラムの一環で行かせていただきました。建築と何ら関係のないようなこのプログラムに参加した訳は、たまたま大学の掲示板を見ていて募集を知り、「中国は行ったことないし行ってみたいな…」程度の気持ちからでした。
 正直、軽い気持ちで参加した私でしたが、この9日間の経験は将来につながる大切な事に気付かせてもらえた時間になったと感じています。
 このプログラムを通しての沢山の出会いや経験の中で最も印象に残っているのは、この会社の組織でいうと一番末端にあたる、コーヒー豆の栽培を担う農民の方々が暮らす村を回って調査していたときのことです。地図上ではすでに消滅しており、元の家々は取り壊され、蔓が生い茂る、かつての村の跡地に、プレハブのようなとても簡素な小屋を建て、少人数の人たちがひっそりと暮らしている村に出会いました。私には目の前の景色が"天空の城ラピュタ"にでてくる村のように映り、これが現実世界だと思うととても衝撃的でした。彼らは数年前に、行政の方針に従い村全体で、山を降りて発展が進む街へ移住することを決めたものの、街の生活や環境になじめずもとの村に戻ってきた人たちでした。彼らは多くを語ってはくれませんでしたが、こんな環境でも街にいるよりはましだと、寂しそうな表情を浮かべながら話してくださいました。また別の村の村長の方は、標高2000メートルの急斜面にある農園でコーヒー豆を一日中収穫しても得られる収入はたった60元、村は標高の高い山の中で、街へ出るための交通手段も、道路さへも整備されておらず、明らかに発展が遅れているにもかかわらず、「自分たちは村を捨て、街へ出たいと思うことはない。自分たちの農地をもち、豊かな自然に囲まれたこの村で家族と共に暮らせることこそが自分たちの幸せだ。」と話してくださいました。
 まちづくりや社会の発展を考えていく私たちにとって、何が人々を豊かにするのか、何がそこでの暮らしやこれからの世の中にとって良いことなのかを考えることは最も大切なことだと思います。しかし、考えた"つもり"ではなく、本当に考えられるようになるには、決して自分の価値観だけで判断してはならない。しかし、それには今の自分の持っている視野はあまりにも狭すぎる。ということを感じました。
 進歩してゆく技術たちを未来に繋がるものにするために、大学生でいられる間に様々な経験をし、沢山の人と接し、多様な視野を持って判断できる大人になりたいと強く思いました。そして、このような機会を与えてくださる大学の環境に感謝し、今後も様々な機会を生かしていける学生生活を送りたいと思います。