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建築工学専攻 博士後期課程3 年 徐 泰錫
「建築専攻研究室の動静(海外の大学との交流を中心として)」


建築工学専攻 博士前期課程2年 金子 豊 「シ・ゲ・キ・テ・キ」

建築工学専攻 博士前期課程1年 村井 健治 「Dominique Perrault Workshop」

建築工学コース4年 堀本 明伸 「4 回生になって」

建築工学コース3年 斧澤 未知子 「等身大の阪大生・悩み事」

建築工学コース2年 小西 慶太 「北日本縦断建築青春十八旅行」

注:本文章は、建築工学科目と社会基盤工学科目の合同OB・OG会組織「構築会」の会誌のための記事を転載したものです。

 私は韓国から来た建築工学専攻2講座の博士後期課程3年生の徐泰錫(ソテソク)と申します。日本に来てもう3 年半になりました。日本での生活はもう慣れてきましたし、学習奨励金及びTA 活動による給料で経済的にも問題なく生活をしています。私は構造物の耐久性、維持管理及び性能設計法に興味があって、建築第2 領域の大野研究室に留学することになりました。私は鉄筋コンクリート(RC)壁における乾燥収縮ひび割れの予測と制御に関する研究をしています。RC 造の壁は、欧米ではRC 柱・梁のフレームの間にブロックやレンガを積むことによって作られますが、日本や韓国では柱・梁と同時に壁のコンクリートが打設され、一体として作成されることによって乾燥収縮ひび割れが発生します。本研究は両国のRC 壁のひび割れ問題を解決に役に立つと考えられ、自負心を持って研究に取り組んでいます。

 次に、建築工学部門の研究室の動静を海外の大学との交流を中心として報告したいと思います。建築工学部門の研究室は計8 領域があり、各領域には韓国、中国、タイ、ベトナム、ウルグアイなど、様々な国から相次いで留学生が毎年来ています(表参照)。特に第2 領域は建築教育の世界化及び国際的な眼識や能力を取り備える建築人力の養成のために、韓国のソウル市立大学建築専攻の鉄筋コンクリート構造研究室、鉄骨構造研究室、建設管理研究室とHong Kong PolytechnicUniversity の建設管理研究室と2006 年3 月28 日に相互交流協約を結びました。今年9 月25 日から28 日まで韓国のソウル市立大学で1 次研究会が開きます。日本、韓国、Hong Kong の学生達が集まって今までの研究結果を英語で発表し、意見を交わし、韓国の伝統構造物や高層ビルの建設現場などの見学が行われる予定です。なお、来年は大阪大学で、再来年はHongKong Polytechnic University で研究会が開催され、毎年学生達の研究会が行われます。

 大阪大学建築工学部門の研究室は研究だけではなく、このように海外の大学との交流も積極的に行っています。海外の大学との交流は学生達に幅広い経験を積む機会になると思っています。私はこのような教育方針を手本として、博士課程を終え、韓国に帰って私の夢である研究員とか大学の教授になって、日本の大学や研究室との学術交流の架橋になりたいと思っています。

建築工学部門の留学生数

 現在所属している研究室に配属されて、早くも3 年が経とうとしている。そんな研究室では先生方も学生たちも非常に刺激的で、有意義な活動ができたと思う。なかでも、刺激的だったのはインド人の Sharmaさんとの共同研究、そしてアメリカで開催された国際蓄熱会議への論文投稿とその学会への参加である。
人が与えられる刺激というのはその人の人生において最もよく効く薬である。ときにはかなり苦いこともあるが・・・。

 Sharmaさんとのシゲキテキな出会い研究室への配属が決まった4 回生の頃。研究の“け”の字もわかっていなかった自分は、英会話なんてほとんどできないにもかかわらず、なにか刺激を求めて日本語の全く話せないインド人のSharma さんと共同研究をすることを決心した。彼との会話、打ち合わせは全て英語で、自分の言いたいことが伝わらなかったり、彼の言いたいことがなかなか理解できなかったり、苦戦した日々が続いた。ときには、互いに反発しあうこともありコミュニケーションを取りたくないとも思った。しかし、だんだん慣れてくるに従って、自分の言いたいことも伝わってきて、彼の言うこともなんとなくわかってきたことで、気持ちを共有することの難しさからうれしさへと変わってきた。まるで恋人同士みたいな・・・。彼をパートナーとしたことは刺激になったし、本当によかったと思っている。
  国際蓄熱会議“ECOSTOCK”への道もう一つの刺激的な出来事は国際蓄熱会議“ECOSTOCK”への参加である。この戦いは、M1 のとき、相良先生の「ECOSTOCK に参加してみないか?」というお言葉から始まった。国際学会なので投稿論文は当然英語での執筆。これまで、英語で論文というものを執筆したことが無かったため、500 単語のアブストラクトですら自分にとってハードルの高いものだった。さらに、投稿審査論文ともなるとハードルどころか棒高跳びかというようなもので、自分の英語力の無さと、そもそもの表現力の無さを痛感した。しかし、先生方の御指導のおかげで、なんとか論文と発表用のポスターをまとめ上げることができた。そんな論文と発表ポスターを引っさげ、アメリカへと旅立ったわけである。
 学会での発表はポスターセッション。予想以上に人が集まってきた。何とかポスターの説明は伝わったように思ったが、質問攻めにはかなり苦しんだ。質問の内容がうまく理解できていないまま、答えになってないようなことを言ってみたり、トンチンカンなことを言ってみたり・・・。しかし、そんな自分の下手な英語の説明を熱心に聞いてくれる人ばかりで、苦戦はしたもののかなり気持ちよく発表ができたと思う。

 始めての国際学会での英語の発表も刺激的だったが、ニューヨーク観光が最も刺激的だった。ニューヨークという街は一言で言うと“オシャレ”。とにかく街を歩いた。周りの建物、人、雰囲気など、全てがオシャレで永住したいとも思った。特に、MOMA、グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館などの世界的にも有名な美術館や博物館の豊富さ、それだけでなく小さな個人ギャラリーの多さには、単に芸術の街という大人しい感じではなく、泥臭さ感じられ、親しみやすかった。ものづくりに携わる人間として、そんな空気そのものが刺激的だった。
  国際学会での発表とニューヨーク滞在を通じて、もっと自分に英語力があれば、学会に参加した諸外国の方々やニューヨーカーたちとたくさん交流ができ、さらに楽しめたのではないかと、英語の勉強を怠っていた自分に後悔すると共に、リベンジしてやろうと心に決めた。
  私は既に建設会社に内定が決まっており、来春から建築を創り上げる仕事をすることになる。大学生活で得られた刺激を生かして、他の人に刺激を与えられるような建築を創り、さらに自分自身が刺激を与えられるような人間になっていきたいと思う。

 2006 年7 月、大阪大学ではフランスの建築家Dominique Perrault 氏を招いて、ワークショップが行われました。“Would you like to wrap it?”というテーマの下で、大阪湾に突き出た埠頭(弁天埠頭)を敷地にオペラ劇場を計画するというプログラムです。関西圏の他大学からの参加者も含め6 つのグループに分かれて、設計およびプレゼンテーションを行いました。ワークショップは次のような流れで進められました。

@個人で3 つ以上のスタディ模型を制作すること
Aグループで明確なコンセプトを決定すること
B形のスタディを繰り返すこと
Cコンセプトを実現させる構造を考えること
Dプレゼンテーション

 ペロー氏からは、「今までに見たことのない形」という課題を与えられました。そして、それを目標にひたすらにスタディを行いました。一人3 つ以上、グループあたりでは30 個以上の模型が出来上がりました。グループのコンセプトが決定すると、次は最終的にどのような形態にもっていくのか、またスタディが始まります。見たことのない形態、それを生み出すためのスタディは永遠に続くのではないかとさえ感じました。長い長いスタディを終え、この形でいこうと決定する際には、大いなる決断力が要求されました。
 また、ペロー氏は私たちに1/200 の断面模型を作ることを求めました。与えられた敷地に対してはとても大きなスケールです。1/1000 や1/500 でスタディしてきた私たちは、スケールを大きくする作業にとても困惑しました。1/200 の断面模型を作って初めて、小さいスケールで考えてきた形、装置、素材が実は成り立たなかったということに気づかされたのです。そして、コンセプトのイメージを残したままでその建築を成立させる構造、材料をまたスタディしていったのです。
 ワークショップは約2 週間という非常に短い期間に行われました。ペロー氏の中間講評から最終プレゼンテーションまではたった3 日間しかありませんでした。それは嵐のような3 日間でした。9 階製図室は6 つのブースに分けられ、図面、CG、模型、レイアウトとグループごとに役割分担し、ひたすら作業に打ち込みました。ほとんど寝ないで作業に没頭し、全て完成したのは最終プレゼンテーション直前となりました。
 ペロー氏に自分たちの作品を理解してもらうには、言葉ではなく視覚的なプレゼンテーションでなければなりません。ペロー氏へのプレゼンテーションを通して、コンセプトを言葉で説明するのではなく、一目でコンセプトの分かる作品を作ること、その難しさと重要さを実感しました。

 本ワークショップを通して、建築プロジェクトの進行過程を体験することができたと共に、グループでひとつのプロジェクトを進めることの難しさ、楽しさを味わうことができました。また、他大学の学生とグループ作業をすることは阪大とは違った考え方やプレゼン方法に触れることもでき、とても新鮮でした。ワークショップをきっかけに、新たなネットワークもつくることができました。意見が割れることも多く、その度に何度も議論を重ねてきましたが、グループ一丸となって完成を目指し、最終講評会を終えた後、全員で共有した達成感を忘れることはありません。本当に勉強になり、心に残るワークショップとなりました。

 大学に入学してからもう4 年が経ち、4 回生になってしまいました。入学した頃は大学の4 回生といえば、自分にとっては大人として自分の信念をしっかりと持っているようなイメージがありましたが、実際自分が4 回生になってみて、そのようになれたかは疑問です。まだまだ社会にでる自信がなく大学院への進学を考え、受験しました。現在所属している建築構造システム学領域(第6 領域)へ進学し、構造解析の研究を進め社会に貢献できればと考えています。

 4 回生になってからは、今までの大学生活と違い、研究室に所属し、今までよりも専門的な勉強を進めていきます。そのため研究室を選ぶ際に、自分は建築学の中でどの分野が向いているのか、どの分野に興味があるのか考える機会がありました。結果として自分は構造の研究室を選んだわけですが、今まで自分が勉強したことや将来のことを考え自分にとって最善の選択をできたと感じていますし、建築のことを考えるうちに自分はやはり建築が好きだと再認識できました。

 研究室配属が決まり研究テーマを決める時の話をしたいと思います。研究室の仲間たちと話し合い、提示されたテーマを見て自分にとって何が向いているのか真剣に考えました。難しい研究テーマを先生方や先輩方に要約して説明してもらいましたが、半分くらいしか理解できていなかったと思います。2 回生3 回生で勉強したことを忘れてしまっていたからです。しかしなんとか自分の興味のあるテーマを選ぶことが出来たと思います。自分の研究テーマは構造解析の基本式である数値積分法についての研究です。この研究にはプログラミングの知識や数学の知識も必要となってきます。高校の時にただひたすら積分の問題を解いたことが少しは役立っているのかもしれません。高校の時の自分は将来何の知識が必要であって、何の知識が不必要であるのかを決めつけたがっていました。しかし今になって考えてみると、将来の自分が何をしているのか、何の知識を必要としているのかは予知することはできません。とりとめもない事柄が新たな発見を手助けしてくれるかもしれないです。今自分のしている研究が将来の自分にとっての糧となるように、悔いの残らないように一生懸命、頑張りたいと考えております。幸い、所属している研究室は研究熱心な先輩方や先生方のご指導を受けることが出来、仲がよく、ふざけ合いながら様々な経験が出来る環境なので、この研究室に配属されたことを幸運に思っております。

 嬉しい事に何を書いても良いと仰って頂いたので、今回は私の悩みについて書かせていただこうと思います。私に原稿を依頼された先生の、苦笑の無い事を願うばかりであります!
 22 歳女子阪大工学部生には、およそ様々な悩みがあります。人間関係の悩み、勉強の悩み、金銭の悩み、容姿の悩み、将来の悩み、お菓子との葛藤、授業中の眠さとの対決、やらないといけない事がたくさんあるはずなのに気が付いたら何もしてない、友達はあんなにしっかりしているのにどうして自分はこうなんだろう、どうしたら家のドアを開けたところにあるドアに蛾がとまっていて帰ってきたら家に入れないもしくは怖くて家から出られないという自体を避けられるだろう、それ以前に部屋が片付けられないけど部屋の中で探し物のありかが見つからないどころかパソコンのIME パッドのありかが見つからなくて辞書機能が使えないよ!など等々。

 今回はその中でも、最近私の思考容量を大方占有している悩みについて書かせていただこうと思います。
 私は一人暮らしですので、平均的な普通の日というと大抵、@起きてから学校に行くまでの一人の時間、A学校で友達といる時間、B学校から帰って寝るまでの一人の時間、といったものです(あくまでも概括としてお考え下さい。詳細と大した違いはありませんが。)この一日という単位の中には少なくとも2 人、あるいはそれ以上の自分がいるのです。
 友達といる時の自分は、友人という目撃者を持つもので一番一般的に知られている自分ですが、私はこの自分が1人でいるときの、自分の頭の中で喋っている自分と同一人物だとは信じられません。あの(この)良く考えて冷静な判断を下そうと努力している自分がこの(あの)頭の軽い口からでまかせで時間を縫い合わせている愚かな子と同一人物だなんて!頭の中で喋っている時でさえ2 人以上の自分の存在の意見の食い違いを感じるのに!
 つまり、私は喋りすぎているのです。無駄に。これは非常に、馬鹿に見える。

 長い休みの後は必ず、土日のあとでもたまに、私は「無駄な事をペラペラ喋り続けない子」になる決心をします。結局無駄に終わっていつも、この今の、夏休み終了後数日後の自分と同じような、がっかりした自分を発見です。
 自分を変えるってなんて難しいんだろう、無いものをつくりだそうとしているわけじゃない、ただあっちにあるものをこっちに持ってこようっていうだけなのに!
 ところで、この夏私はイギリスに行ってきました。そうして思ったのです、「日本語を喋れ過ぎる自分が問題点なのだ」と。英語で自分を表現しきれないもどかしさに大きく勝る、日本人と日本語で喋っている時に自分がどれだけ馬鹿そうに自分を演出しているかということへの嫌悪感。拙い英語で言葉を選ぶ自分のほうがよっぽどお利口さんに感じました。感じただけで中身は同じですけどね。ええ、同じですとも!

 さて、このような事を考えているのが私の普段の頭の中です。原稿依頼の紙を今良く見ていたところ「等身大の阪大生」という文字を発見しました。これが等身大かは分かりませんが等身大でないとも言い切れません。等身大で無いと良いですね。私は是非自分の隣にいる等身大の阪大生の頭の中身を知ってみたいですね。
 差し当たっての急性の悩みは本当に顔写真付でこの原稿を渡さないといけないのかということです。書いてる人の顔を知っているのと知らないのとでは随分文章の印象が違うと思いませんか!ましてや、私の嫌いな、写真…。

 投稿を引き受けたときはわりと書く気満々だったわけですが、いざ書こうとすると早くも何を書けばいいのかわからない状況に陥り、23 分が経ちました。とりあえず自分の生い立ちでも綴ろうかと思いましたが、そうするとこの会誌の少なくとも半分以上は僕の半生で埋まりそうな気がしますので、それだけはやめようと思います。第一、誰も興味がないと思います。なので、この夏休みに体験したことをつらつらと書いてみます。

 今日は9 月12 日。夏休みも残すところ3 週間となりました。夏休み前半は大阪の自宅から滋賀の友達の家まで自転車で走り、そこから友達と金沢まで建築を見に行くという、なかなか体力的にシビアな旅をしました。しかし、自転車の旅というものは本当に素晴らしい。周囲の自然と生身で接し、風を感じながら青空の下を気ままにこいでいくという旅は、旅をより充実した後味の良いものにしてくれます。かつエコノミカルです。とはいえ今回は半日あれば十分たどり着くようなコースであり、「旅」といえるようなものではありませんが、近いうち、まだ体力がそう衰えないうちに自転車で遠出をしてみようと思います。

 その後、9 月5 日から1 週間かけて、札幌、函館、青森、弘前、仙台、東京を友達と共に電車で南下しつつ、有名な建築物をじかにこの目で見てきました。4 ヶ月前から計画してきたこの旅は最高でした。紙面上で見るのと、実際に目の前にするのとではやはり臨場感というか迫力が違いました。僕の中で何かが大きく変わったという意識はありませんが、本当に行って良かったです。さらに、旅そのものも楽しかったです。電車の窓の外の景色はほとんどいつ見ても緑に包まれていて、綺麗で、日本の2/3は森林である、という事実にも頷けます。しかし、すべて青春18 切符で移動したため特急に乗れず、8時間電車に乗りっぱなしというすさまじい一日を過ごしたこともありました。旅行初日から池にはまる友達もいました。目覚ましが鳴っても確実に起きない友達もいました。仙台では宿が取れずカラオケで一晩過ごしました。寝る前になるとなぜかみんなの片手には缶ビールが握られていました。12 都道府県移動、24 建築物見学。みんなの体力に乾杯です。
 他には、中学の友達と飲みに行ったり、高校の友達と飲みに行ったり、白浜までドライブしたり、ライブに出演したりなど色々なイベントがあり、今までになく充実していました。この先も忙しくなりそうです。

 突如、話が変わりますが、4 月に分属されて以降、毎日が充実していました。初めての設計課題、専門科目授業、どの授業も新鮮で、その頃は課題、レポートの時間差波状攻撃にあえいでいましたが、今思い起こしてみると「苦」ではなかったです。もちろん「楽」でもなかったですが。設計課題ではクラスのみんなのいろんな工夫、考え方を学びました。今のクラスは好きです。クラスコンパを開くたびに仲の良さが確認できます。なかでも期末試験直前期におけるあの一体感と団結力、頼もしい限りです。
 建築の道に進んで半年という、うぶな自分ですが、これから色々なことを積極的に吸収していこうと思います。