2008
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建築工学専攻 博士後期課程1年 田島 喜美恵 「31歳のモラトリアムその2」

建築工学専攻 博士前期課程2年 古賀 茉季 「感性を磨くこと」

建築工学専攻 博士前期課程1年 神野 夏子 「構築会だより 神野」

建築工学コース4年 若林 可奈 「ニュータウン育ち」

建築工学コース3年 栗本 絢子 「星に願いを」

建築工学コース2年 光田 めぐみ 「ハタチ」

注:本文章は、建築工学科目と社会基盤工学科目の合同OB・OG会組織「構築会」の会誌のための記事を転載したものです。

  2007年構築会『学生からのたより』の谷内久美子さんの『31歳のモラトリアム』を読み、私とよく似た環境の人が近くにいるのか!と驚きました。そのせいもあってか(?)今年の『学生からのたより』を書く機会をいただきました。

 私は2007年4月に博士後期課程に入学しました。私はかなり変則的な経歴で大学院に入学しました。学部を出てすぐに東京で働きはじめました。そこで設計や展覧会や出版の仕事に携わりました。それに加え学会活動や、パキスタン地震時に専門家派遣事業で現地入りし復興住宅プロポーザルなどをした経験を通して、大学院に行ってみたいなという気持ちがふつふつと芽生えてきました。しかし東京で一人暮らしをしながら仕事に追われる身では学びたくてもなかなか難しく諦めていましたが、結婚を機に神戸に住むことになり、運よく夫が手堅い会社に勤めているのをいいことに、思い切って念願の大学院に入学することにしました。資格審査で博士後期課程から入学できたので、なんとか神戸から2時間近くかけて通学しながら家庭と研究の両立を目指すことができました。

 約10年ぶりの学生生活は新鮮で、学生食堂でランチを食べたりするだけでちょっと感激、学割で映画を観るだけで感激、講義室で授業を受けては大感激といったところです。私の浮かれようは友人達にも飛び火し、大学院進学を真剣に考える人も出てくるくらいです。また、私が所属するゼミの博士後期課程には留学生が多くいろいろな文化にも触れることができます。昨年、学会の研究会で北京へ行き、その足で内モンゴルから来た留学生の故郷に連れて行ってもらいました。とてつもなく感動的な草原を堪能しました。研究室での出会いがなければ、こんなところには一生行くことができなかったと思います。

 そして今年の4月7日に娘が生まれました。片時も離れたくないと思うぐらい、可愛くて可愛くてしょうがない存在です。その願いがみごとにかなってしまいました。まったく哺乳瓶を受け付けず母乳命の、ひとに預かってもらうことが難しい赤ちゃんになってしまいました。ですので、どこへ行くのもバギーをガラガラ押して出かけます。時には新幹線に乗って日帰り東京出張します。学会や研究会などもバギーを横づけしています。大学生活においても先生をはじめ研究室のメンバーにはいろんな面で依存させて頂いています。ゼミにも一緒に出席させて頂き、研究室のソファはおむつ台、研究室の隅っこで授乳、勝手にベビールーム化しています。妊娠期や産後すぐの体調の良くない時には研究室のメンバーがいろいろ気遣ってくれて研究・調査においてもサポートしてくれました。温かく私たち親子を見守ってくれる研究室の皆さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 大学生活をあらためて書いてみると、どうしてもまわりの方々への感謝状になってしまいます。「モラトリアム」軍団は、多くの人に支えられないと立っていられないふわふわした存在です。私が大学生活を続けられるのは、皆さんに支えてもらっているからです。感謝の気持ちを忘れずにこれからの学生生活を謳歌していきたいと思います。これからも親子ともども、どうぞよろしくお願いいたします。

  ここ数年の私の興味は、「いかに自分の感性を磨いていくか」である。
 建築を大学で学び始めて今年で6年目を迎える。大学4年の時、広い建築の分野の中でも計画設計を専攻すると決め、今まで様々学んできた。その中でずっと考えていることは、自分は本当に設計に向いているのか、ということと、設計に必要な感性はどうしたら身につくのかということだ。設計をする際にどこからともなく沸いてくるアイディアの源は一体何なのか、その源がもっと増強されれば私の設計ももっとよくなるだろうにと常に頭のどこかで考えている。私はアイディアの源はすなわちその人の感性だと思う。感性は今まで生きてきた過程でほぼ決まっているのではないだろうかと考える事もあるが、そう考えては今後の自分の発展がないので、最近はいかに自分の感性を今以上に磨いていくかということを考えている。

 感性は意識的に磨けるものではないかもしれない。しかし、私はそれを少しでも磨くために、とにかく色々なものに直に触れるということを意識し、実行している。例えば、建物を雑誌や写真で見るのではなくなるべく実際にその空間の中に身をおくことによってその場所から自分が感じるもの、特に写真等には表現されていない音や空気感やその場の人の活動を含めた建物空間全体を感じることを大切にしている。建築に直接かかわることでなくても、日本各地やあらゆる国に旅行に行き、そこで生活する人々や自然、建物や伝統芸能まで様々見ることによって、色々な発見や感動をし、そういった経験の積み重ねこそが、自然と自分の設計にいきてくるのではないかと思い、常にフットワークを軽くして活動している。

 来春からは実際に設計者として社会貢献をしていく立場となり、学生の間行ってきた夢ばかりの設計とは違う、現実の建物の設計をしていかなければならなくなる。その時に、それまで積み重ねてきた様々な体験が本当に効果を発揮するのかはわからないが、自分の身をもって体験し感動することは、設計というものに限らず、ひいては自分の人間としての器を大きくすることにもきっとつながると信じている。そういった面では、感性を磨くことは、例え今までの長い学生生活が終わり実際に社会に出て実際の建物を創っていく立場になっても、一生続けていきたいと思う。 しかし当面は、残り少ない学生生活を有意義に使うべく、様々な新しい刺激を求めて日々精進していきたい。

  この夏、一ヶ月間アメリカに行ってきた。大学の授業である、「工学英語U」の夏期特別プログラムなるもので、「理工系大学院生のための海外研究発表研修コース」というなんだかたいそうな名前がついている。
これを書くにあたって、向こうの授業で使っていたノートをめくってみた。授業でとったメモなどの他に、行った場所のチケットが貼ってあったり、その感想などもついでに書いてある。なつかしいなあと思いながらついついめくっていていると、ぎょっとする言葉を見つけた。「ばかやろー!!」・・・。思い出した。私はこの頃、自分の書いた卒業論文にいらいらしていたのだ。このプログラムの大きな目標は、自分の卒業論文を英語に直し、最後に英語でみんなにプレゼンテーションするというものだ。工学部のなかでも様々な専攻の人が参加しているこのプログラムでは、他の専攻の人にもわかるように分かりやすくプレゼンテーションを組み立てるということがとても重要になる。そこで授業では、何回も授業中にとなりの人と自分のプレゼンテーションについて議論をした。建築工学専攻の中でも計画系に属している私は、工学部に属していながら理系論文というものにほとんど触れたことがない。物理や化学なんて1回生のときの教養科目以来。そんなだから、誰のプレゼンテーションを聞いてもチンプンカンプンで、みんなにイチから説明してもらわなければならなかった。ある意味、それは立派な異文化体験で、結構面白かった。しかし欲を言えば私も説明したかったのだ。この「ばかやろう」を書いた日、私はペアの子に自分の論文について「なんか高校生むけってかんじ・・・」と言われたのだ。彼にまったく悪意はない。非もない。たぶん、もっと難しいこと書いてもまだ分かるよって言ってくれただけだと思う。しかし、残念なことに、私の論文にはこれ以上の深みはなかったのである。

 深みがないと気づいたものの、当然のことながら今さらどうすることもできない。先生や友達に相談してアドバイスをもらったり、ホームステイ先の家族にプレゼンテーションをきいてもらったり、研修最終週にはほぼ毎日睡眠時間を削って何とか最後まで仕上げた。まさかアメリカで、睡眠時間を削って勉強することになろうとは行く前は考えもしなかった。
 もちろん、楽しいこともたくさんあった。放課後や休日は、近くのビーチで開催されるコンサートで踊りまくったり(運動音痴の私が・・・異国の地じゃないとできなかった)、映画館で「Mamma Mia!」を見ながら大合唱したり。私は、どこそこの国の国民性はどうこうとかいう話には疑問があるけれど、アメリカ人ってみんな気さくで陽気だなあと思わずにはいられなかった。
 しかし予想外に価値があったのは、一緒に行った30人あまりの新しい友達が出来たことだ。大学院生にもなると、なかなか新しい友人もできないものだが、道端であって「よっ!」とか言える人が増えたことはすごく良かったと思う。
ま、何はともあれ、思い出は大切にしつつ、来年はぜひとも深みのある修士論文を書いて卒業したいと思っている今日この頃である。  

  私は7歳の時に現在の家に引っ越しました。それからずっと、22歳になる今日までニュータウンで育って来た私の「ふるさと」は、ニュータウンなのだと思います。そんな私にとってニュータウンが抱える課題とやらに取り組むことは、研究以上の意味を持っています。
3回生の夏、建築の同級生3人と私は「海外研修助成金」を勝ち取り、10日間イギリスのニュータウン(Harlow New Town)に調査に行かせていただきました。イギリスのニュータウンは街並みがきれいで、そのきれいな街並みを守ろうという住民の意識が大変高くて驚きました。と同時に、住環境の維持形成に関しては、自治体のリーダーシップの担う役割が非常に大きく、日本とはずいぶん状況が違うと感じました。

 その一方で、事前調査や帰国後の報告会で出会った、新千里東町「街角広場」のみなさんは私の想像以上に自分たちの生活の場である千里ニュータウンに興味を持っていました。私たちの、イギリスのニュータウンについてのつたない発表にも熱心に耳を傾けてくださり、自分の住むまちについてきちんと知っていて、考えようとしている人たちが日本にもたくさんいたのです。日本のニュータウンにはイギリスのようにしっかりとした自治体のバックアップは今のところありませんが、一部の住民の意識とモチベーションはイギリスと変わりませんでした。
この経験がきっかけで私は現在の研究室に入り、郊外住宅地の住環境について研究していくことに決めました。

 そしてこの夏、今回は神戸大学、清水建設との共同研究のための海外調査として、アメリカの郊外住宅地(Greenbelt, Levittown)に同行する機会をいただきました。イギリスの非常に閑静な雰囲気とはまた違って、アメリカでは、夕方になると、おびただしい数の車がsuburbiaの駅の駐車場から出て行きます。会社帰りの住民たちの車なのですが、それは日本の帰宅ラッシュの電車さながらに混沌とした風景でした。しかし、住環境を守るために自治体や、Greenbeltではco-op法人、住民によるCommittee、NPO..等々実にさまざまな人たちが、さまざまな組織をさまざまな方式で運営し、たがいに協働していました。
 日米英の郊外住宅地の現状を見るにつけ、日本のニュータウンでできることがまだまだあると感じています。それが、「コミュニティ・カフェ」なのか、管理や自治の仕組みなのか、コミュニティ・ミュージアムなのか、官の力なのか、住民運動なのか、まだわかりませんが、それはこれから2年半かけて考えていきたいと思っています。

 というわけで、ニュータウンで育って、ニュータウンの問題を自分の問題として考えられる私だからできることを、いつかどこかで形にしたいなと思いながら、私はここで勉強しています。

  7月上旬、設計課題の図面提出期限も近づいて、なんとなく活気付いてきた製図室に笹の葉が持ち込まれた。多くの時間を仲間とともにすごす、見慣れた製図室にいきなり現れた夏の風物詩は、異様な空気を発しながらその存在感を示していた。願い事を書こうと用意してくれた短冊を手にして、本気で星に願いをこめていたかつての自分と、心から願うことが見つからない今の自分の大きな差に気がついた。

「ダンサーになりたい」「学校の先生になりたい」「スチュワーデスになりたい」

 幼い私の願いはいつも将来の夢で、しかも毎年ころころ変わったけれど、どの願いも本当だったし、どの願いも本当に実現すると思っていた。自分の未来は無限に広がっているものだと信じて疑わなかった。今の私だって、自分はまだまだこれからの人間だと思っているし、これから学ぶべきことや実現すべきことは山のようにある。大学で建築を学ぶ私にとって、建築士という、おそらくは昔の夢よりもっと実現可能で、近くまで迫ってきている夢もあるはずなのに、どうして心からそれを願う気持ちになれないんだろう。どうしてこんなに希望が持てないんだろう。

 かつて、高校生までの私は無敵だった。怖いものもなかったし、自分にできないこともないと思っていた。たとえ今の自分にできないことがあっても、それは願えば努力次第で実現できると信じていたし、実際できた。それなりに要領もよく、ちゃっかり者の私は、確実に自分が実現できることだけを願っていたのである。そうして確実に課題をクリアしていき、周りにもおだてられ、自分無敵説を確立していった。ただ天狗になっていたといえばそれまでだけれど、たぶん私は今よりずっとピュアだったんだと思う。「願えば叶う」と信じて、また叶えようとする努力を惜しまなかった。私はたくさんの希望と夢に囲まれて、毎日をまじめに、着実に過ごしてきた。
ところが、大学に入って新しい環境に身をおくようになってから、すべてが少しずつ、しかし確実に変わっていった。隣の人が当たり前のようにやっていることがなぜか私にはできない。私より努力してハードに毎日を送っている人がいる。自分の意見をそのままストレートに伝えることができる人がいる。小さな挫折を味わったり、新しい意見を聞いて自分の考えを改めたりという、今まではしてこなかったことをせざるを得ない状況のど真ん中にいつの間にか立たされていた。新鮮で刺激的な毎日の中で、いろんな人と話す機会も多くなった。私はちょっぴり大人になって、一人では生きていけないことを知って、さみしがりやになって、周りにいてくれる人に感謝できるようになった。そして自分の力ではどうしようもないことがあることを知って、願っても叶わないこともあるということがわかって、願い事をする自信すらなくしてしまった。

 もう少し時間がたって、このちっぽけでどうしようもない自分ともう少し上手に付き合えるようになったら、また前とは違う形で自分に自信が持てるだろうか。そのときにはまた、素直な気持ちで、星に願い事ができたらいいのにと思う。

  大学生になってまさか夏休みの宿題に追われるとは思っていなかった。昔から夏休みの最後に残る宿題は絵と作文。私はこういった宿題が苦手だ。しかし、苦手だからといって避けていてはいつまでたっても苦手のまま。それを克服するために引き受けたこの宿題。何について書こうか…こうやって本題に入らず、ぐだぐだ書いているうちに1000字に達せばいいのに…。

 この夏、私はハタチになった。「ハタチ」という響きにどこか焦りを感じた。ついに大人のなってしまった。しかし、私たちは学生である間、猶予が与えられている。こういう期間を「モラトリアム」というらしい。まだ自由な時間の多い学生のうちにもっと多くの経験をしておきたい、やっていないことはたくさんある、理系はどんどん忙しくなるなら今しかない。そう思った私の夏休みは怒涛の2ヵ月だった。
初めての海、初めてのキャンプ、初めての一人旅、初めての海外旅行。どれも今までは興味もなかった、というより誘われても断っていたようなことだった。それから大学生なったらやろうと思っていたことにも挑戦した。スポーツジムへの入会、香川へのうどんツアー、漫画「ワンピース」を揃えること。実家にだって3回帰った。ディズニーランドにもUSJにも行った。そして残りの日々はバイトに注いだ。
本当は家でゴロゴロして過ごすのが好きな私、よくやった。充実した、無駄のない夏休みだった。

 私の「やりたい!行きたい!」といった思いつきの企画には、多くの友人たちが付き合ってくれた。それなのに、言いだしっぺの私は、様々なことに手を出しすぎて忙しく、直前まで計画を練ることができず、いい加減な計画しか立てられなかった。それでも、「みんな」となら成功した。楽しかったし、何でも乗り越えられた。しかし、そううまくはいかないのが一人旅。調査不足のため、いったん計画が狂うと代替案もないし、時間もうまく使えない。そういった時に生まれる不満や歯がゆさも全て内に秘めて旅を続けなければならない。感動を共有したい、困難だって笑って乗り越えたい、喜怒哀楽を前面に出したい。結局、私は一人では楽しめない人間なのだ。巻き込まれる私の友人は大変だ。

 そう、今まで私に巻き込まれてきたのは家族だ。私はマザコンのファザコンのシスコン。末っ子次女の私はずっと家族に甘えてきた。しかし、ハタチになって「自立」という言葉が一気に迫ってきたように感じる。嫌だ。いつまでも甘えていたい、大人になんかなりたくない、ワガママが許される子供でいたい。けれども私も、社会的に近々大人にならないといけないらしい。私の中ではまだ『大人になるという義務』よりも『子供でいたいという願望』が強く、私を混乱させる。
 さぁ、いつまで私は子供でいられるか。現在モラトリアム中。残された大学生活をいかに楽しみ、苦しみ、笑い、悩み、学ぶか。今こそいろいろな経験を積む時だ。モラトリアムを有効に使えた人が、立派な大人になれる気がする。そういう経験ができるチャンスは逃さず、自らチャンスを作っていこうじゃないか!

 この脈絡のない文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。何が言いたいのか…ハタチの頭の中のゴチャゴチャをなんとか文章にしてみると、こんな風になってしまいました。まだ頭の中が整理できておらず、結論にたどり着けていないのです。私なりに大人になれたと思うときに、この文章を読み返してみたいと思います。