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建築工学専攻 博士前期課程2年 前川 浩毅 「社会人を前に」

建築工学コース4年 椿 美咲子 「四年間を支えていたもの」

建築工学コース2年 設楽 朋代 「私の学生生活」

注:本文章は、建築工学科目と社会基盤工学科目の合同OB・OG会組織「構築会」の会誌のための記事を転載したものです。

 私は現在23歳、世間で言うところの、ゆとり世代である。この“ゆとり世代”という言葉を聞くと、私はなんとも言えない嫌悪感と反感を抱いてしまう。テレビ番組などでゆとり世代を揶揄する場面が流れると、思わず目を背けたくなる。しかしそれは、私が自身の中に“ゆとり世代”的な部分があることを確かに感じてしまっているからなのである。

 先日、大いに反省させられる経験をした。高校のホームステイでお世話になったアメリカ人の友達が日本を訪れ、大阪にも立ち寄るというので夕食を共にした。久々に再会し、始めのうちは他愛もない会話で近況を報告し合っていたのだが、ちょうど米国の大統領選挙が盛り上がっていたので、話題のひとつとして軽い気持ちで尋ねてみた。すると友人は堰を切ったように話しだし、各候補の特徴や自分の意見について1時間近くも語ったのである。私は自分の国の政治についてその友人のように深く意見を持ったことはなく、聞いていて自分が恥ずかしくなった。同い年であるその友人が政治について熱く語る姿は、自分よりもずっと年上に見えた。

 私の同年代にも政治に強い関心を持って勉強している人はたくさんいるだろう。しかし、ゆとり世代の特徴として、将来への失望からくる政治への無関心が挙げられており、少なくとも私はその通りの人間であった。日本という社会を構成する一人の人間としての自覚に欠いており、改めて自分を社会の一員として客観的に捉えなおす必要があると感じた。

 ゆとり世代のもうひとつの特徴として、すぐに結果が出ることにしか興味がなく、コツコツと努力を積もうとしない、というのが言われている。確かに私自身、努力することが得意だとはとても言えない。しかし、努力が難しいということは、私に限ったことでも、ゆとり世代に限ったことでもなく、誰にとっても努力積むということは辛く苦しいことだと思う。

 コツコツ努力を積む、の何が難しいかというと、成果として報われなかった場合には、その“コツコツ”が水の泡となってしまう、という不安が常に隣り合わせだということではないだろうか。逆に言うと、成果が約束されている場合、例えばテレビゲームの中の世界では、単調な作業でも延々と何十時間も続けることができる。そして確かに、この場合の単調作業はゆとり世代の得意分野であるかもしれない。
 つまり努力するには、その前に確かな目標を設定し、それを達成した自分の姿を思い描く必要がある。

 以上で私が綴ったことを要約すると、社会の一員としての自分を自覚しなければならない、常に目標を持って努力を重ねなければならないということである。こんな当たり前で、安っぽい自己啓発本にでも書いてあるようなことに、私は今さら気づいたのである。いやしかし、ゆとり世代の一人である自分が、こんな当たり前のことに社会人を目前に気づけたことは幸いであった、とも言えるかもしれない。  

 気づけばもう四回生にもなり、友人など多くの大学生が来年社会人になります。私はこの四年間で何か成長できたのだろうかと思いとりあえず、自身の大学生活を振り返ってみようと考えました。

 大学での生活はそれまでの学生生活とは全く違うものでした。中高一貫の進学校に通っていた私は中学、高校とほとんど勉強しかしてこなかったし、勉学を集中して行う環境にもすごく恵まれていました。自分で自ら進んで勉強しなくてもある程度の課題が与えられて、疑問点もすぐに先生に聞くと教わることができました。また学ぶ内容も受験に必要な勉強であったので明確に分かっていました。

 しかし、大学では違います。正直、単位を取るためだけの勉強だとほとんど何もなくても何とかなるでしょう。自分で自ら学びたいことを選択し進んで学んでいかないと、何も成長しないしただ大学に所属しているだけになると思います。私がこの四年間ずっと建築と向き合い続けてきたかというと微妙ですが、少なくとも建築に立ち向かうことができたのは様々な人に支えられてきたからです。四年間ともに建築を学んできた友人がいたからこそ続けることができたのだと思います。課題前には連日徹夜をしながら製図室でお互いを励ましあい、作品をよりよくするために意見を出し合うことで、苦しかったが乗り切ることができました。

 一人ではなかなか参加できなかったと思われるワークショップなども、同じような志を持つ友人がいたから参加する勇気を持つことができました。その時私が参加したワークショップは他大学の機械専攻の方たちと竹を生かして水車と灯篭を作り、物づくりを通じて地域の人を巻き込んで多角的な視点で物事に向き合うことを目標としていました。実際、現実に何か完成品を作ろうと思うと設計の段階では思いつかないような現場に行って初めて発生する問題などもあり、予算的な問題などうまくいかないことが多くありました。しかし、専門が違う学生や様々な年齢層の地元も人と協力することで解決することができ、一つのものを実際完成させてそれに対しての意見をもらえたことは私の意識を変えることができた出来事の一つだと思います。

 また旅行など遊びの時間でも興味のある建築に触れることができたのも建築を学んでいる友人がいたからです。国によって材料が違ったり、様式が違ったり知識として知っていることでも、実際その場に行くことで感じるスケール感や、その建物に受ける個人の印象をお互いに言い合うことで楽しく建築に向き合うことができました。

 思い返せばこの四年間は初めてのことが多く変化の連続だったし、多くの人の支えがあったからまえに進むことができました。将来、何かを成し遂げるためにその選択肢を少しでも増やすために、残りの学生生活も様々なこと触れて積極的に挑戦していけたらいいなと思います。

 今回執筆させていただくことになり、大変うれしく思います。何を書こうか悩んでしまいますが、大学での授業について、そして、今年の夏休みについて振り返ってみます。

 まずは大学の授業についてですが、私は合格最低点で受かったこともあって、1年生のときはかなり苦労しました。周囲の頭の良さに驚きました。塾のバイトでは、生徒に質問されて、解答を見ても答えられなくてやめました。1年生の数学の先生がかなり厳しい先生で、私の質問が的を射た質問でなかったためもあってか、たくさん叱られました。数学をもっと理解しようとしました。受験生のみんな頑張っているし、私も頑張ろうと思ったり、わずかな差で入試に落ちてしまった人がもし私の代わりに受かっていたらもっとしっかり頑張っているだろう、などと思って、アルバイトの合間を縫って必死に勉強しました。3セメスターはとっていませんが、4セメスターではまた数学があります。とるかわかりませんが、頑張ります。

 次に、最近の授業についてですが、製図と英語がとても大変でした。1年生のころから建築は大変だと聞いていたので、製図は評判どおりの大変さでした。徹夜、もしくはそれに近い状態を何度も続けました。なぜバイトを入れてしまったのだろうと後悔したこともあります。もっと計画的にかつより考えて仕上げるべきだといろいろ反省しなければならない点があります。英語は、毎週の予習と単語テストの準備をしなければいけなくて、大変でした。授業後のほっとした感じを楽しみに頑張っていました。  しかし予想外に価値があったのは、一緒に行った30人あまりの新しい友達が出来たことだ。大学院生にもなると、なかなか新しい友人もできないものだが、道端であって「よっ!」とか言える人が増えたことはすごく良かったと思う。
ま、何はともあれ、思い出は大切にしつつ、来年はぜひとも深みのある修士論文を書いて卒業したいと思っている今日この頃である。

 つづいて、今年の夏休みについて書いていこうと思います。まず、8月の上旬に、リゾートバイトに行きました。レストランです。掃除、皿洗い、セット、サービスなど、何でもしました。たくさん怒られました。仕事に慣れるまでは大変でした。教えてもらう、というよりはその場で慣れる、という感じでした。でも、一緒にリゾートバイトをしていた人たちと、サイクリングを楽しんだり、花火を見たり、まかないをいただいたりしました。中学の頃の塾の先生にも何年振りかに会って少しお話ができました。すごく良い経験になりました。

 さらに、9月1日から9月30日まで、キャンピングカーでアメリカを横断しました。グランドキャニオンで見た夕日が本当にきれいでした。今でもしっかり思い出せます。「SEKAI NO OWARI」さんの「Dragon Night」と、「スターライトパレード」の曲とともに見ました。ほかにも、White Sandsとか、ヨセミテとか、きれいなものをたくさん見ました。すごく感動しました。キャンピングカーはトラブルだらけで困りました。水が漏れてきたり、ドアが壊れたり、雨が入ってきたり。ほかにも、私がけがをして貧血で倒れてしまうなどのトラブルがありました。それでも無事1カ月過ごしてきました。またアメリカに行きたいです。できれば近いうちに行きたいです。

 もうすぐ2年生の後半がはじまります。しっかり授業に出て、友達とも頑張っていきたいです。