優れた構想力と高い表現力を示す創造性ある卒業設計作品の制作者に対して、その努力を称えることを目的とする。

 本年度は2月19日(金)に選考が行われた。第一次審査として、常勤の教員が展示会(2/16〜2/19)にて公開された設計図面に基づき審査し投票した。なお、本年度は期日前投票を実施していない。
 午後の発表会に引き続き、第二次審査を常勤の教員および計画系非常勤講師7名により行った。初めに午前中の投票で1票以上の得票を得た作品の得票数を公表した。
 例年3票以上を得た作品を講評対象としており、本年度も3票以上を得た13作品をまず受賞候補とした。ここで、受賞の対象外の1作品を加え、計14作品を公表対象とした。
 第二次審査は常勤教員および非常勤講師により、受賞候補13作品を対象に作品ごとの特徴について意見交換を行い、評価するべき点、不十分な点を整理した上で、挙手により再度投票を行った結果、8作品を選出した
 その後意見交換の上で、上位2作品を除く、6作品の中から3作品を挙手によって選出し、上位2作品と合わせて5作品を最優秀賞・優秀賞の対象とした。
 その後、5作品について挙手による投票を行い、最多得票を得た1作品を最優秀賞とし、残る4作品を優秀賞として以下のように決定した。

【選考方法】
 選考は第一次審査と第二次審査の二段階で行う。一次審査により講評対象作品を、二次審査により最優秀賞・優秀賞作品の選定を行う。選考の対象は卒業研究提出日に提出された設計図面である。ただし、一次審査においては模型および展示講評会における質疑応答を評価の参考とし、二次審査においては一次審査の評価項目に加え、卒業設計発表会におけるプレゼンテーションを評価の参考とする。
【一次審査】
 建築工学部門所属の全教員が、各自最大5作品を選び、それぞれに1票を投じ、得票数の多い作品から十数点を講評対象作品とする。
【二次審査】
 建築工学部門所属の全教員および計画系非常勤講師・招聘教員が、一次審査の結果と公開審査を経て投票を行ない、最優秀賞および優秀賞若干名を選定する。

【卒業設計最優秀賞】

・化生 真衣:みゆきもりくんモノガタリ -小学校の終焉と懐かしい未来-

【卒業設計優秀賞】(名簿順)

・赤嶺 圭亮:Capacity for adaptation -状況変化に適応する、可変性の設計-

・小川 璃子:小さな日常、長い一瞬。 私とまちの暮らしの設計図

・辻 七虹:Dejavecu House -みたことのないみた塩屋-

・大桐 佳奈:樹木寄生 生死の連鎖とユートピア



【全体講評】
 例年通り,卒業論文も提出しなければならないという時間的制約があるというハンディの中で,注目すべき作品が数多く見られたのは,学生諸君の日々の精進と努力の結果と大いに讃えたい。とくに今年度はコロナ禍での実施となり、教員とのディスカッションや他学生との交流といった創造物を生み出すために必要な作業に大きな制約が課された中でもあり、その出来栄えに危惧を覚えていたが杞憂に終わったようである。
 今年度の作品を見ると,例年通り住宅からまちづくりまで多岐に及んでおり、テーマとして興味深いものが多かった。また、環境系や構造系の作品も最近では計画系の作品と遜色のないプレゼンになっているものも散見されるようになってきている。計画系の作品としては、昨年に引き続き、卒業論文でフィールドとした場所や自らの問題意識に即したものが目立った。それは一つの事象に深く関与することになることから良い面もある。ただ、そこだけに着目してしまうと視野が狭い提案になってしまう危惧もある。それは、SDGsを筆頭とした環境問題、防災やユニバーサルデザインといった社会問題に対する提案が少なかったことに繋がることでもあり、若干、気になった。
 卒業設計賞に選ばれた各作品は、今までにない取り組みを自らの内部で昇華しきった作品であり、それぞれの作者の力量が感じられ共感を呼び、比較的すんなり選考が決まった。その一方で、何度も卒業設計の敷地に選ばれているような既視感のある場所、あるいはテーマの作品は残念ながらあまり評価されなかった。アートは “今までに見たことがない” ことが一つの評価ポイントであり、そのためには膨大な教養も必要となることから、卒業設計が4年間の集大成といわれる由縁でもある。昨今の情報社会では逆に情報過多という弊害もあるが,自らの感性をより磨くことの重要性を指摘したい。
 皆さんの作品は学外の講評会、コンクール、展覧会などでも批評されることになろうが、それらの場に対して “傾向と対策” という視野で取り組むのではなく、あくまで自らがより深く思考した結果としての評価を得る場と考えてほしい。その折に自分のもつ価値観とは全く異なる意見を聞くこともあろう。それに反発することは若者の特権なので大いに推奨するが、反発するだけでは進歩がない。幅広い価値観に触れる機会でもあるので、ネガティブなことは聞きたくないと忌避するのではなく、積極的に吸収していっていただきたいと思う。
 以上,いろいろ苦言も呈したが,無事卒業制作を終えた皆さんの前には,厳しい実社会の壁が立ちはだかっている。それに負けることのないように今後のより一層の研鑽を期待したい。

【講評】
 アンビルドとしての建築表現は,肉薄するリアリティとその手法のみでしか伝わらない背景によって成立する.
 本作品は,大阪コリアンタウンの中心に立地する小学校閉校を契機としたまちづくり構想としての提案書である.提案は,失われる校区内に引き継がれてきた遊び空間を3世代に渡るヒアリングと,つぶさな調査から導き出した6箇所に対して行われている.旧河川が創り出した路地の“へたち仮設図書館”,長屋1階のかつての利用形式を踏襲した空き家活用とまちへの接続方法,キャノピーと色彩の連続性に掲示板を設え,生き生きとした営みの風景を紡ぎ出すなど,その場所と人々の詳細な営みの固有性を主語として地域の持続性に向けた提案内容が微細に展開されている.
 化生さんは,跡地利用検討会への参加,小中学校教育再編方針(統廃合)に対する行政ヒアリング,約4年間におよぶ地域活動への参加を通して地域の感情を置き去りにする様々なリアルと社会の力学を目の当たりにしてきた.これら全ての経験と特殊な事情を抱えた地域の履歴を踏まえ,地域の要素と構造を建築的思考と手続きによって編み込まれた図像としての「みゆきもりくん」は,地域のアイデンティティそのものである.
 スーパースタジオのように未来をアイロニカルに表現するのではなく,アーキグラムのようにテクノロジーを称賛する未来を描いてもいない.小学校区という衣の下にある連綿と受け継がれてきた固有の地域単位とアイデンティティの所在を,絵コンテを伴う物語と圧倒的な描画力で顕在化させ,小学校の内部空間と校区内の場所を呼応させながら地域における未来に向けた記憶をアンカーする手法はひたすらに地域に寄り添っている.
 地域への手紙,そして自身の今後の地域との関わり方の手引書としての役割が折り重なる本作品は,建築の最も基本的な要素を備えながら,卒業設計における批評要件の1つである見たことのない世界と空間を有している.

【講評】
 数ヶ月に渡り取り組んだ卒業研究の成果を卒業設計に取り入れた作品は、毎年複数みること ができる。背景やコンセプトが十分に整理され、完成度の高い作品に仕上がることが多い。本作品もその一例であるが、ここでは卒業研究は単に基盤となっているのではなく、高レベル で卒業設計と融合されている大変意欲的な作品である。
 作者は卒業研究において、竣工後に改修された多数の住宅の分析から、改修時の可変性を高める295種類の「種」を抽出し、データベースとして整理した。そして、こうした「種」を設計時に予め埋め込むことで、可変性の高い住宅を作ることができると考えた。本作品はその可能性を、具体的な敷地において検討するものである。
 変わりつつある周辺状況や世帯構成といった内的な変化など、多様な変化を想定し多数の「種」を埋め込んだ4軒の戸建住宅を設計した。それぞれ6パターン、合計24パターンもの変化を想定し、それらに対して「種」がどう応えるのかが思考過程と共に示されており大変興味深い。ただし、多数ある「種」の中から、採用する「種」をどのように選択したのかという点や、「種」の「調停作業」のロジックについて十分に説明されていない点は残念である。そこには「種」の発見者ではなく、作者の設計者としての立ち位置や技量がみて取れるはずだからである。また、平面図や立面図がなく、「種」が改修前あるいは改修後の長い日常生活の中で、どのような効果をもたらすのか、建築のデザインにどう現れるのかが十分に表現できていない点は惜しまれる。
 ともあれ、ストイックな態度でぶれることなく卒業研究、卒業設計と向き合い、迫力のある作品をまとめ上げた作者の力量は、図面の端々から容易に読み取ることができ、非常に高い評価を得た。

【講評】
 この作品は,中津の魅力的な要素を自身の暮らしのイメージとして縫合した家である.小川さんは,敷地である中津の日常の中に存在する見過ごしてしまいそうな小さな魅力的な風景を記録し続けてきた.中津に自分の家を設定し,日々の気持ちの変化に対応した5つの帰り道を設定しながら,繰り返される日常の帰り道と風景の要素が,暮らしの日常空間である家に反映され設計図として描かれる.
 例えば,路地上部の空への意識を誘導するベランダの風景要素は,視線が空へ誘導されるような家の内外を貫く階段と屋上となる.雨上がりのフェンスに見つけた雨粒とその奥にある空き地,その要素と場面は,お風呂と隣り合うベランダとなり,あの時見た場面を家の中で再現する構成となっている.見つけた風景や場面たちが発見される度に家へ反映されるだけでなく,目覚まし時計やティーポットなどの作者自身の暮らしのアイテムが介在しながら,詳細な寸法検討の上で設計がなされている.
 この作品には,特段に強いメッセージや空間としてのハイライトは存在しない.極めて私的な中津の要素と極めて私的な暮らしのイメージによって,まち側と家側にもコントラストのない,等身大の価値観と時間の流れが同居する独特の心地よい世界観が創り上げられている.まちに暮らすということ,その理想の姿としての価値観が建築的アプローチとして表現され,見る側に共感と解釈の余白を与えてくる作品である.
 本作品が他地域への汎用性と展開力ある要素を多く内在している点を,作者自身がどのように消化・解釈していくのかを楽しみにしたい.

【講評】
「抽象は,普遍性のための役割を果たす造形表現である(PietMondrian)」.
 この作品は,具体的な場所と経験から誰しもが体験したことのあるような感覚を空間として立ち上げた家である.辻さんは2ヶ月間塩屋に住みながら綴った日記から,塩屋の人々や場所と自身の経験が幾重にも重なった純度の高い8つの動詞を抽出する.抽出された動詞は,具体的な経験と感覚になぞらえて,抽象化された動詞モデルとしてアウトプットされている.動詞モデルは,抽象化をとおして塩屋の場所と経験の固有性を裏付けながらも,非常に美しい空間のカタチと同時に,体験したことがないがあるような感覚(Dejavecu)が備わる空間の性質と表現がなされている.例えば,狭い路地に立ち並ぶ店で食事をする時,路地に面する店々の内部空間も含めて路地が1つの空間として認識する経験を,空間へのリテラシーある者であれば誰しもが経験したことがあるのではないだろうか.
 このような感覚的経験としての既体験(動詞モデル)の総体として家が提示される.総体化する論理展開も「塩屋のまちは1つの家のようである」と暮らしの中での具体的な経験に基づいている.家は,塩屋の町や地形の配置が補助線となりながら,住んできた経験の要素が折り重なりながら空間モデルとして提示されている.家の空間のカタチは,陰影法によるデッサンのように輪郭を伴わない奥行きある空間の表情を持つだけでなく,光の位置によって同じ場所でもまるで異なる空間へ変容する秀逸な空間表現によって成立している.
 本作品の抽象化された空間は圧倒的な美しさを有し,抽象化された空間は塩屋における人と場所の関係が創り出す空間の固有性を定義した意欲的な作品として評価できる.

【講評】
 都市空間を歩いていても,生き物や大地から生える樹々と遭遇する機会は少ない.20世紀は,人間が人間以外の生き物を排除し,人間にとって都合の良い空間を加速度的に設え過ぎた100年であったかもしれない.
 獣の住処とかしている消滅集落に樹齢三百年の寿命を迎えるブナの樹が立っている.この作品は,擬人化したブナの樹が,朽ちていくブナの樹の過程の中で,人間ではあるが,あくまで生物の一員として暮らし,これからの人間と生き物たちの生態系としてのあり方を暗示する物語としての建築である.
 四季の変化に呼応させながら,その都度,必要最低限の恩恵を生き物たちから受けるための仕掛けが連鎖的に提案される.例えば,例えばブナの花期に合わせ,枝にニホンミツバチの巣箱を据え,アブラムシや樹木の甘露を集めさせ,甘露キャッチャーを設える.キャッチャーに集まる虫達を日本酒に漬け込みながら甘露蜜を作る.梅雨時期には濾過装置を作り,地下に豊かな土壌の水を貯める空間を設け,生活用水として利用できるポンプも作るなど,ブナの樹に提案される連鎖的な仕掛けや仕組みは,そのまま生き物やその場の環境に寄り添った暮らしの生態系を豊かに構築している.
 この作品は,ステレオタイプの卒業設計のフレームから外れている.しかし,入念に調査された登場する生き物たちの特性,その関係性を創り出すアイデアと装置,それらを伝達するための手段としての物語の構成力と画力をとおして圧倒的な世界観と思想が展開される.生き物たちの自生的な関係性を尊重した生態系としての思想表現としてのこの建築は,今日的構造主義の萌芽的側面としての批評性を有する秀逸な作品である.