優れた構想力と高い表現力を示す創造性ある卒業設計作品の制作者に対して、その努力を称えることを目的とする。

 本年度は2月22日(金)に選考が行われた。第一次審査として常勤教員が展示会(2/19〜2/22)にて公開された設計図面に基づき審査し、一人当たり最大5作品に投票した。その後、非常勤講師を交えて設計発表会(2/22午後)を実施した。
 発表会に引き続き第一次審査を常勤教員および非常勤講師により行った。初めに午前中の投票で1票以上の得票を得た作品の得票数を公表した。12票1作品、9票1作品、8票3作品、7票2作品、6票1作品、5票1作品、3票2作品、1票4作品であった。3票以上の11作品に1票1作品を加えた計12作品を講評対象とし、第二次審査の対象とした。
 第二次審査は常勤教員および非常勤講師により、上記12作品を対象に作品ごとの特徴について意見交換を行い、評価するべき点、不十分な点を整理した上で、挙手により再度投票を行った結果、18票1作品、10票1作品、8票1作品、7票1作品、5票1作品、4票1作品、2票1作品、1票1作品となり、7票以上を獲得した4作品を優秀賞とした。さらに意見交換を行った結果、最優秀賞に相応しい1作品を選定した。

【選考方法】
 選考は一次審査により講評対象作品を、二次審査により最優秀賞・優秀賞作品の選定を行う。選考の対象は卒業研究提出日に提出された図面である。ただし、一次審査においては模型および展示講評会における質疑応答を評価の参考とし、二次審査においては一次審査の評価項目に加え、卒業設計発表会におけるプレゼンテーションを評価の参考とする。
【一次審査】
 建築工学部門所属の全教員が、各自最大5作品を選び、それぞれに1票を投じ、得票数の多い作品から十数点を講評対象作品とする。
【二次審査】
 建築工学部門所属の全教員および計画系非常勤講師・招聘教員が、一次審査の得票数の多い作品から十数点を対象として、最優秀賞および優秀賞若干名を選定する。

【卒業設計最優秀賞】

・宝角 成美:Literal and Phenomenal

【卒業設計優秀賞】(名簿順)

・浅居 佑香:unico house

・福島 広大:雨跡を編む

・松田 出帆:遊廻する村役場 -移動する木造仮設ユニット-



【全体講評】
 卒業設計は建築系学科の学生に課される独特の卒業要件で、海外の大学でもほぼ同様の文化を持っている。そのテーマや内容の選定は学生個人に委ねられているが、最近は大規模な建築や開発は陰を潜め、まちづくりに関するものや既存施設のリニューアルなど人々の生活に根差したテーマが多くを占めるようになった。これは社会が成熟し、新しい段階に移ったことを感じさせる。少子高齢化とともに社会の縮退化が進む日本ではこれまでに築き上げてきた膨大な社会的インフラを維持できなくなることが予測されている。このような時代背景において若い人達がいま何を考え未来に何を求めるのかという視点で眺めて見るとそれにも合点が行く。
 さて今年の卒業設計の作品についてもほぼ同様の傾向が伺える。その中で敷地を特定したものと、そうでないものがある。敷地を特定する場合、建築としての具体化が進むが、実現可能性の制約を受けることになる。そしてその敷地の持つ固有のコンテキストやその地域が抱える問題がその作品のテーマとなる場合が多い。街の景観やコミュニティに関する問題、過疎地域の再生や災害復興など様々であるが、その地域に関して深く徹底した調査が背景に伺える作品が多く見られた点は高く評価したい。一方で敷地を特定しない場合、もちろん実現可能性の制約は減少するが、建築は抽象化するため、その作品が存在するための明確なコンセプトが求められる。そして多くの人を説得できるテーマを見つけるのはそう簡単ではないが、今回は個人の内面を見つめて空間を造形化したものや建築論的視点から社会生活を問い糾したものなど見ごたえのあ る作品が多く見られた。いずれにしても作者の視線が社会の軸をいかに捉えているか、そこに新しい発見がどれだけあるかが、作品の「質」を左右することになる。今後ますますの研鑽を期待したい。

【講評】
 この作品はコーリン・ロウがモダニズムを乗り越える契機と考えた2つの透明性を拠り所として、リテラルな現代社会の隙間にとり残されたフェノメナルなもう一つの世界へ我々を誘っている。モノトーンの透明な画面に映し出されるリリカルな風景は、幻想的で控えめながらも限りなく刺激的である。これは多くの人々が行き交う大都会のビルの谷間で演じられる束の間の寸劇であり、住宅という形式を借りて現象化した「生き方」への問いかけでもある。ここでオフィスビルは現代人の生きるリテラルな場所であり、そこに生じる隙間は集団から置き去りにされた人々のためのフェノメナルな場所として扱われている。哲学者ハンナ・アレントは人間の生活を「活動」「仕事」「労働」の三つに分け、「労働」以外に人間的意味を失った近代以降の現代社会に警鐘を鳴らした。ここでは脚本家坂元裕二の台本から選定された4人の主人公による日常風景のケーススタディとして語られている。彼らはあたかも実在するかのように、構造を考え、気難しく材料を選び、人目を避けて空間を積み上げ、それそれの「仕事」の場所が用意されることになるが、これらはすべて、我々が日頃は目に留めることのないビルの隙間に見たもうひとりの「あなた」の居場所なのかもしれない。

【講評】
 この作品は新しい住宅の在り方を見つけるための63の事例研究である。コルビュジエは「建築をめざして」の中で「住宅は住むための機械」であると述べたが、ここではその「機械」にも時に不具合が存在することから、作者は特徴的で個性的な住人と何らかの欠陥を持つ住宅との組み合わせの中に新たな住宅の可能性を見つけようとしている。それぞれの事例は敷地のコンテキストには左右されず、純粋な建築空間のプロトタイプとそれを使う住人との対話で構成されている。長い廊下を辿らなければ到達しない食堂には住人の期待感を高揚させる効果があったり、部屋を分断する長いダイニングテーブルによって隣人の気配が感じられるなど、「機械」にとっては不具合として切り捨てらるような部分でも、「人間」にとって有益であったりする。この作品は63の事例の中にこれまでに我々が見失ってきた豊かな生活の断片を発見している。コルビュジエの言葉からすでに1世紀が過ぎた現代、「機械」は当時の想像をはるかに超えるスピードで進化している。「住宅」はこれに追いつけるのか?

【講評】
 この作品は昨年集中豪雨によって甚大な被害を受けた岡山県真備町のための復興住宅の提案である。画面全体に広がる色彩を抑えた手書きのドローイングは洪水被害の悲しい記憶を背景に、これからの新たなまちづくりの萌芽が垣間見えて秀逸である。現在現地では決壊した堤防の拡張補強工事が計画されており、ここではそれによって立退きになる約10棟の住宅群の再建案として取纏めている。しかしこれはただの復興住宅ではない。これらは新たに拡張した堤防上に、川を挟んで両側に計画されており、それぞれの住宅は被災した住宅の遺構を下敷きにして築かれている。これには賛否があろうが、これまで幾度となく水害に見舞われ、その度に多くの犠牲者を出してきたこの地域にとって、作者は敢えて被災の教訓を正確に伝えることを選んだ。また洪水に見舞われた地域だからこそ水際空間との日常の触れ合いを大切にしている。この新しい住宅群は過去の記憶を背負いながらも、これから始まる復興時のコミュニティを意識して、それぞれの家族の生活が継続されるよう緻密に設計されており、軒と縁側で連続する豊かな共有空間が河畔に展開していて清々しい。この作品は災害復興に向き合う姿勢を我々に問いかけている。

【講評】
 この作品は大阪の都心に築き上げられた「ガクセイリョウ」という名の「迷宮」である。そしてこれらは予め決められたルールに従って作られる。すべては個人の空間と位置付けた4mの立方体で構成されており、切断と挿入の操作を繰り返しながら積み上げられることによって、個人の空間が開放されて緩やかに他者の空間と連続する結合体ができあがる。そこには明示的な昇降装置は存在せず、床の傾斜やわずかな段差によって縦動線が確保されている。これまでの均質で内に閉じた近代建築を開放する手がかりを見出したのかもしれない。これらはすべて作者の「理性的な操作」によるものだが、それによって出来上がった構造はポーラスで、全体が「カオス」の様相を呈している。これはM・タフーリが「球と迷宮」で示した命題、「秩序をめざした計画(球)は必然的に無秩序なカオス(迷宮)をもたらす」ことを暗示していて興味深い。ただ「迷宮」を意図した「球」はあり得るのかという問いがこの作品を理解する鍵となる。