建築工学部門に所属する教員等により卒業設計について選考を行い、最優秀賞を1名、優秀賞を若干名選定し、賞状と副賞を授与しその成果を讃える。

 本年度は2月26日(木)に選考が行われた。午前中の展示講評会の後、第一次審査として、常勤の教員により各作品の審査・投票行った。午後からの卒業設計発表会に引き続き、午後4時半よりE4棟2階製図室にて常勤の教員と5名の非常勤講師による第二次審査を公開にて行った。まず、第一次審査の投票結果が報告され、協議の結果、得票数が2票以上の上位作品を講評対象とし、さらに6票以上の上位8作品を第二次審査対象とした。次いで審査対象作品それぞれについて非常勤講師を含めた審査員による協議の結果、計3作品を受賞候補とした。さらに最優秀賞の有無及び有の場合は該当する作品について投票を行い、最終的に次のように受賞作品を決定した。

【選考方法】
 選考の対象は卒業研究提出日に提出された図面のみである。ただし、模型および展示講評会における質疑応答を評価の際に参考とする。 選考は第一次審査と第二次審査の二段階で行う。
【第一次審査】
・建築工学部門所属の全教員が審査員となり、各自が最大5作品を選び、それぞれに1票を投じる。
【第二次審査】
・第一次審査の結果と公開審査を経て、全教員および設計演習担当の非常勤講師・招聘教員の協議により、最優秀賞1名と優秀賞若干名を選定する。

【卒業設計最優秀賞】

伊勢原 宥人:シャングリ=ラ

【卒業設計優秀賞】(名簿順)
・藤井 一弥:僕等への贈り物

・GUO NING:羽化

 

【全体講評】
 例年通り卒業論文も提出しなければならないという時間的制約があり、かつ今年度はS1棟が耐震改修中であることから慣れ親しんだ製図室を使えないというハンディの中で、優秀な作品が数多く見られたのは学生諸君の日々の精進と努力の結果とまずは讃えたい。
 その一方で、昨年度も指摘されたことではあるが、せっかくのデザインやプレゼンの内容がテーマと矛盾していることで審査員を納得させるには至らなかった作品がいくつか見られたのは残念である。また、立面図など必要図面が見当たらない等、作品の全体像がよくわからない作品もあった。その点、最優秀賞の伊勢原君と優秀賞の藤井君の作品は大きな破綻もなくコンセプトメイキングからプレゼンまでほぼ完成された内容が評価されたし、優秀賞のGUOさんの空想的な作品は人によっては好き嫌いもあろうが、その一貫したデザインが評価された。
 それ以外の傾向としては、卒業論文のテーマやフィールドを取り入れたものが目立った。ここ数年の傾向で好ましいと言えるが、そろそろもう少し思考上の深みが求められる時期に入ったと思われる。それは、プログラミングによって形態を生み出そうとする作品にも言えることである。また、自らの育った家を題材にしたものも見られたが、規模が小さい作品の場合はディテールまで描くなどの努力がほしい。CAD・CGによる見栄えを追究した作品も多かったが、建築はコンピュータの中ではなく、社会環境の中に存在するものであることを今一度、肝に銘じてほしい。
 以上、いろいろ苦言を呈したが、無事卒業研究を終えた皆さんの前には、厳しい実社会の壁が立ちはだかっている。それに負けることのないように今後一層の研鑽を期待したい。

【講評】
 この作品はかつて大阪で開催されたEXPO70の跡地に埋め込まれた全長約1.2qに及ぶ巨大なアーカイブである。この敷地は、我が国が戦後の貧困から抜け出し先進国への変貌を遂げた高度成長の象徴であるとともに、反面多くの悩みを抱えることとなった現在社会の原点でもある。1970年「人類の進歩と調和」をテーマに当時の科学技術の粋を集めた理想都市(Shangri-La)がここに出現した。しかし現在ではそのすべてが埋め立てられ、岡本太郎の「塔」以外に当時の面影を留めるものは何もない。作者がこの作品に込めた思いは、この理想郷を見なかった世代にとって、失われた蜃気楼の残骸を発掘する考古学者のように、埋没した映像や資料を掘り起しアーカイブすることだったのかもしれない。その意味でこの作品が示すリニアーな形態と丁寧に整理されたA〜Zまでの索引を示す塔(ゾーン)は我々の脳裏にある失われた記憶と見果てぬ夢を辿る僅かな道標として暗喩的に示されている。かつてソ連の映画監督タルコフスキーは「ストーカー」の中で、決して立ち入ってはいけないとされる「変電所(ゾーン)」に理想郷を求めて侵入する人々の心理に潜む多くの悩みを克明に描写している。本作品が示唆するアーカイブは多くの悩みを抱えることとなった現代社会を見直す装置として、その原点となった1970年に我々を誘っている。

【講評】
 この作品は富山市の住友運河跡に計画された児童公園施設とその地下に埋設された戦争博物館の提案である。かつてこの地が軍事工場として利用され、その後空襲で被災したことを静かに伝えようとしている。敷地に点在する5つのフォリーとそれらを繋ぐ空間の設計は秀逸であり、緻密に計画された動線に沿って見え隠れする風景の変化は非常に美しい。ただ作者はこの作品に込めた思いは何であったのか。児童公園という長閑な風景の中に、過去の傷跡が埋め込まれることで、我々は日常の生活の中で忘れていた悲しい出来事を垣間見ることになる。それは役目を終えた産業施設の再利用を通して、富山大空襲の犠牲者への鎮魂なのか、世界を相手に我が国が辿った戦争への反省であろうか。いま政府の歴史認識が問われている中で、作者はこの戦争をどのように捉え、なにを後世に贈ろうとしたのかについてもう少し語るべきであろう。

【講評】
 身体性との応答による建築デザインの可能性と意義を提示するために、戸建住宅で暮らす家族の父親が突如トムソン・ガゼルに変貌するというプログラムを敢えて設定し、人間と動物という異なった身体・環境系を空間的に重ね合わせようとする提案である。ガゼルの生活や行動場面をきめ細かく想定しながら、壁・床・天井・家具といった既成の概念を超えて、知覚的に一体化し、身体を包み込むような面の構成として空間がデザインされている。一つ一つの改修デザインの操作は、作者にとっては人間と動物との身体性の共通性と相違を見出す作業でもある。家族がいなくなった後、保育所に転用するとう設定については、結末を子どもの自由な使い出に任せてしまうことで曖昧な印象を与えているが、新たなデザイン論を提示する極めて優れた作品である。