本年度より建築工学科目の行事として卒業設計に賞を設けることとなった。賞の種類と受賞人数は卒業設計賞1名、奨励賞若干名である。受賞者には賞状と副賞が授与される。

【卒業設計賞】

串本 佑介:事実の回生、意味の継承

【卒業設計奨励賞】
重久 遼子:混ぜる×交ざる=∞

三好 史晃:故キヲ温ネテ新シキヲ知ル

望月 蓉平:繋ぐ LOW LINE

山口 佳孝:□110×110

【総評】
 卒業設計賞が設定された記念すべき年であったが、卒業設計賞は該当作無しという結果に終わった。学生それぞれは、悩み、工夫し、頑張ったのだと思うが、全体的に最終成果物である図面と模型は、例年に比べ低調で物足りなかったというのが正直な印象である。この学年は意欲的に卒業設計の運営に取り組み、出来上がりを期待していただけに非常に残念である。
 いうまでもなく、卒業設計は大学最後の設計課題であり、自分の発想とデザイン力を存分に示すことのできる貴重な機会である。そこでは、構想力、構築力、プレゼンテーション、そしてかけたエネルギーが問われる。今回、端的にいって、卒業設計に期待されるデザインの構想・密度・ボリュームに至っていない作品が多かった。少なからぬ学生の図面がわずか5枚であったのは信じ難いことである。卒業設計で表現したいものが、学部の通常の設計課題の図面枚数にも満たないというのは建築を専攻する学生としてあまりに情けない。
 もちろん、構想は非常に興味深い作品も幾つかあったが、それを実現し構築するための建築の語彙が圧倒的に足りなかったように思う。複雑なものを組み立てあげるためには、それなりのデザインヴォキャブラリーが必要である。デザインを続けるつもりの学生は奮起して欲しい。

【Concept】
 『「ヒロシマ」を街に訴えかけ、メッセージを発信する場所』〜平和記念都市、広島。被爆61年を迎えた。街空間の中で「ここが原爆を投下された街」と感じられる場所は非常に少ない。広島の街にそれを訴えかけ、さらに最近活発化している、平和に対するイベントを誰もが起こせるような場所を建築する。

【講評】
 広島球場移転後の敷地に風化しつつある原爆の記憶をとどめ置き?、想起させる建物・ランドスケープの提案である。平和公園から延びる都市軸、現存する被爆樹木の軸ならびにこの軸と爆心地とを結ぶ垂直軸、これら3軸の交点に建物を建てており、周辺に散在する原爆にまつわる資源を読み解いた軸の設定と配置が明快な点、第2次大戦にまつわる展示空間と原爆を象徴させる形態がテーマを的確に表現しており高く評価される。ただし、建築内部の第2次大戦にまつわる展示と広島の郷土資料展示とを関係づけるプログラムの設定や空間構成について十分に検討されていない点や図面だけではコンセプトを十分に表現されていない点が惜しまれる。

【Concept】
 今、私達の住むまちには住宅や施設等、様々な機能をもつ建築をもつ建築が似た機能をもつもの同士でまとめられている。でも、これでは似た目的を持つ人としか出会わない。もし住宅や施設がぐちゃぐちゃに混ざれば、もっとたくさんの人と交ざる。そうすれば出会いが、可能性が建築の使われ方が∞になるはず。そのように思い、この建築を1つの起点にして、まちごと様々な世代・目的を持った人々が交ざるように計画した。

【講評】
 千里NTの近隣センターに隣接する小学校跡地に計画された複合施設である。高齢者に配慮した単身用住宅、診療所、高齢者・児童福祉施設等を複合させ、さらには小学校とも融合させる計画【混ぜる】は、ニュータウンが抱える問題に正面から向き合ったまじめな取り組みとして評価される。その姿勢は丁寧に設計された諸室が並ぶ平面図からも窺うことができる。ただし、回遊性を持たせた全体構成の必然性や、外部空間や街との関わり、さらにはここで新たに生じるであろうコミュニケーションの様子、すなわち【交ざる】が十分に説明されておらず課題を残すこととなった。

【Concept】
 神戸の街は現在、震災後の復興により街区、建築、交通、緑、がきれいに整備され、いわば理想的な都会の街並みとなりつつある。しかし、戦後の闇市から力強く発展してきたこの街のアイデンティティは薄れてしまい、人を熱くさせるような何かが欠けているように感じる。そこで、そのアイデンティティを継承し、熱い何かを再び呼び起こすため、神戸の街に眠っているアクティビティ、クリエイティビティを自発的に創出する場所を提案した。

【講評】
 当該案は官主導の震災復興が進む神戸市において、地元住民や次世代を担う若者の情報発信拠点として展示スペースやアトリエなどの機能を持つ複合施設を提案しており、その主旨は納得できる。計画地はJR三宮駅と元町駅の高架下にあるアーケードと市を南北に繋ぐトアロードの結節点にあり、多くの雑貨店が立ち並び、現在の神戸における新しい文化の発信拠点となりつつある。計画案は現在の高架部分を残したまま、その高架橋に覆いかぶさるようにして新しい施設を構築し、その形態は一種のモニュメントとして、そこで行われる活動を限られた空間の中にダイナミックに誘導しており、その造形力を高く評価する。ただ、提示模型が示す空間構成の面白さや迫力とは裏腹に表現手段としてのパネルや図面に作者の意図やセンスが十分反映されていなかった点が大変惜しまれる。今後の健闘を期待する。

 

【講評】
 東京銀座の首都高速道路を廃止し、地下レベルの道路構造物を、街を「繋ぐ」パブリックスペースとして再生する提案である。何より模型が圧巻である。プロポーションの良いねじれたスラブに目を惹かれる。新しい都市の風景を生み出す視点場や背景として、そして地下・地上・空中への動線や視線を導く‘媒体’として、様々な期待をさせてくれる。ただ、肝心な地下レベルは長大なスラブのために薄暗く、また、レストランや野外ホールを並べるのは安易な印象を受ける。折角読みとった歴史や場所性を地下に生かす工夫がより一層展開されれば、高速道路を残すべきとの講評会での指摘も無かったかもしれない。

【Concept】
 タイトル「110×110」とは計画地、西成区梅南地区における街区の規模であり、また今回計画した都市のコミュニティー、生活の単位でもある。ここで、現在平面的に広がっている大小の路地を立体的に積層して行くことによって豊かな空間を造り出し、低層密集市街地の文化、「密集の文化」、「混在の文化」を未来に維持しつつ現代社会の生活に適合した密集生活形態及び、あるべき都市の姿を提案する。

【講評】
 梅南(大阪)は、戦前の耕地整理による大街区に路地が縦横に入り、低層高密な市街地となっている。防災性には問題があるが、低層高密だからこそ生まれる生活空間の豊かさがあり、この魅力を活かして、次代の高密都市空間を提案する計画である。空間的には、既存の路地を軸に立体的に生活空間を組み変えることで、漸進的にすき間を挿入しながら、新しい高密環境をつくることが構想されているが、そのシステムが十分かたちに現れていない。そのため、環境改善にあまり寄与しないすき間がでてきてしまっている。しかし、都市の生活空間は、いわゆる居住だけではなく、働く場でもあり、出会う場でもあり、一人になる場でもあると考え、整形街区をベースに、路地のラビリンス性を立体化しながら自由な生活空間のかたちを求めた取り組みを評 価したい。