建築工学部門に所属する教員等により卒業設計について選考を行い、最優秀賞を1名、優秀賞を若干名選定し、賞状と副賞を授与しその成果を讃える。

 本年度は3月2日(水)に選考が行われた。
 第一次審査として常勤の教員と4名の非常勤講師等が午前中の展示講評会で各作品を審査し午後1時までに投票した。次に午後5時より9階製図室にて常勤の教員と6名の非常勤講師等による第二 次審査を公開にて行った。まず第一次審査の投票結果が報告され、協議の結果、得票数が4票以上の上位13作品を講評対象とした。次いで講評対象の作品それぞれについて審査員による意見交換を 行った後、受賞作品候補として得票数の上位5作品の他に加えるべき作品があるかどうか検討し、推薦のあった3作品を加えた計8作品を受賞作品候補とした。さらに最優秀賞に値する作品について 意見交換を行った。最終的には、常勤教員のみによる協議・投票により、次のように受賞作品を決定した。

【選考方法】
 選考の対象は卒業研究提出日に提出された図面のみである。ただし、模型および展示講評会における質疑応答を評価の際に参考とする。
 選考は第一次審査と第二次審査の二段階で行う。
【第一次審査】
・建築工学部門所属の常勤教員全員と建築設計担当の非常勤講師等が審査員となり、各自が最大5作品を選び、それぞれに1票を投じる。
【第二次審査】
・第一次審査の結果と公開審査を経て、常勤教員の協議により、最優秀賞1名と優秀賞若干名を選定する。

【卒業設計最優秀賞】

水上和哉:尊き みはしらに 捧く

【卒業設計優秀賞】
荒木翔太:from the platform

大森香奈:反転するケンチク -夙川河川敷を通して-

岡崎沙織:kumogakure

山口敦子:道の行方

山本敦子:ぼくのうた、きみのまち、そのむこう

【総評】
 作品としての現代建築の評価を決めるのは、一つには、構造とプランとを独立させ自由な平面と空間を創ったル・コルビュジェと、無柱による均質空間とその一方で不規則な壁の配置による不均質空間を創ったミース・ファンデル・ローエとの2人の巨匠を現代建築史の始点として、それ以降の近代及び現代建築史に残る作品群(マスターピース)をどれだけ多く参照し、いかに批判的に高く昇華しているかにある。決して現在の先端的と思われるスタイルやコンセプトを上手にアレンジすることではない。もう一つは、省資源や省エネルギーに代表される地球環境保全問題や、我が国でいえば少子高齢化人口減少に伴って生じている地域社会変容の問題など、現代社会の課題にいかに建築で答えているかである。ただし、個人的・私小説的な問題を単純に否定するものてはない。なぜなら突き詰めていけば必ず社会性を持つ場合が多いからである。こ れら意匠の歴史的文脈性と現代社会性を満足させるのに才能は必要ない。勉強による努力と設計のトレーニ ングで達成できる。
 以上の観点から本年度の卒業設計をみると、透明で均質な空間に対し透明でありながらも不均質な視覚空間が創れることを示して意匠史の文脈がよみとれたもの、都市における自然風の利用や現代社会のあわただ しさやストレスからの解放を提案して社会性が感じられたものがあった。しかし、建築史の積み重ねと社会性を同時に備えた設計案は見つけ出せなかった。
 建築学生として普通に過ごしておれば状況論は自然に身につく、せめて過去100年の建築史の正確な知識と一家言を持ってほしい。

【講評】
 黒部ダムの建設工事で亡くなった171名の殉職者を慰霊する施設である。 現在は立山黒部アルペンルートの起点として多くの観光客が訪れる黒部ダムは、高度成長期の関西地方の電力不足解消のために、7年の歳月と1000万人を越える人々の力によって完成した日本の代表的ダムである。建築の大部分は地中に埋められ、来館者は工事プロセスを追体験するかのようにギャラリーを巡っていく。三角形に空を切り取るボイド、破砕帯工事のトンネル、大地の断面との対峙、2本の塔、そして地表に突き刺さる171本の金属の筒と光に満ちたスペース。特徴的な空間をストイックに連結する構成自体は、 やや単調であるが力強く、先人を忘れないという強烈な意志を感じさせる。 一見大時代的で、アナクロにさえ見えるが、竣工50年を迎え、なお250年は使用可能とされる昭和の偉業を再認識することは、高度成長とは違う社会に脱皮つつある今の日本にとってむしろ意義深い。

【講評】
 まちと人が出会う駅空間の提案である。プラットフォームに降り立ち、改札口へ向かう時間にまちを感じたい。そうした駅空間を、ビルや高速道路が垣間見え、隣接する生活空間の気配が滲み込んでくる場所性として、まちの記憶につながる木の建築が連なり生み出す大空間をデザインすることにより表現しようとする試みである。木の建築は、大きな駅空間を構成するとともに、駅に期待される様々な時間と出会いのための装置を内包する。かつて湊町は大阪で唯一の終着駅であった。もう一度、まちの時間を漂わせる駅空間を再生したいというコンセプト、それを建築空間と建築の連なりで構成するという発想を評価したい。ただ、木の使い方と建築内部の空間構成の調整、駅空間の大きさと行き交う人が求める空間のスケール との調整など、十分計画しきれていないところが惜しまれる。

【講評】
 コの字型のユニットが、ブロックのようにぎっしりと詰まった プランに目が惹かれる。廊下や吹き抜けの類いが一切用いられず、ミクロな「細胞」の隣接関係のみによって、フラットに広がるスペースに市場と集合住宅を展開させようとするとても意欲的 な作品だ。コの字のソトとウチは「等価」であり、人々が自らの 利用により、オモテ・ウラのいずれかに染めあげていく。オモ テ・ウラの成立は、隣接する次のコの字に影響し、そこでの利用と緩衝しあいながら、次のオモテ・ウラが決まっていく。この建築のダイヤグラムとは、ネガ・ポジのコマがフラットに敷き詰められた一枚のパネルのようであり、ネガ・ポジが反転しながら、コミュニティや周辺地域の変化に追従していくというものなのだろう。作者のコンセプトの源泉は、卒業論文で調べ上げたプラハ旧市街の都市構造にある。プラハは石やレンガの壁でネガ・ポジを形成したのに対して、作者はスペース の「利用」により形成した。新しい空間システムの提案として高く評価したい。

【講評】
 海辺の砂浜に置かれた円盤状の造形(美術館)と洗練された浅葱色の内部空間に林立する透明なシリンダーによるコンビネーションはシンプルでありながらもリリカルで大変美しく、見るものを惹きつける不思議な魅力を持っている。しかし実はこの施設にはしたたかな仕掛けが隠されている。一見無造作に置かれた展示物とガラスのシリンダーは実は緻密な計算の上に計画されており、それらが視線の屈折によって見えない空白域を作り出し、互いに組み合わされることで、これまでに見たことなもない展示空間を創出している。これは建築におけるフィジカルな境界概念を覆す新しい可能性を示唆するものとして画期的であり、その着想は群を抜いて素晴らしい。ただ敢えて言えば、作品の背景となるコンテクストはあまり語られておらず、作者はこの施設の必然性やこころを揺さぶる感動に対してはあくまでも寡黙である。おそらくそれらはこの作品を特徴づける決定的な意味ではないことかもしれないが、これが建築である以上社会との何らかの接点は持つ必要がある。

【講評】
 多彩なアイデアがふんだんに盛り込まれたこの作品は、材木業としての土地の記憶を生かした公園再生と、近世大坂ならではの街割りを参照した空間デザインという大きな二つのテーマに整理して評価すべきだろう。木造の軽やかで変化に富んだ空間にカフェやギャラリーをもちこみつつ、子どもの遊び場としての回遊性を同時に持たせた構成は、外部空間とも一体となって、新たな憩い系の「公園」として蘇ることだろう。(ハイレベルな期待ではあるが、)街割のダイヤグラムの導入については、構造物全体を一つの建築として一体的にプランニングするのではなく、界壁の間の空間をそれぞれ独立した生活単位として構成してもよかったかもしれない。短冊状に建ち並ぶ町屋どうしの界壁をメッシュ状に抜いてしまうと、ヨコ方向に一体どんな変化や意味が生まれるのだろうか。これもまた作者の当初のコンセプトであったからだ。図面は1/50の大きなスケールで細部まで描かれ、学部最後の成果物として十分に評価される。

【講評】
 金沢市の中心部における複合文化施設の計画である。観光地としてのポテンシャルの高い周辺のエリアを接続することによって、金沢の魅力をさらに高めることを目的とする。
 雪の形状をモチーフとする六角形は直喩的過ぎるとの批判はあろうが、ユニットの積み重ねや連結によって形作られるファサードはとても印象的である。また積み重ねられたユニット間のずれから生じた階段や開口部のほか、開口部を介して連結された部屋等、変化に富んだ内部空間も魅力的である。
 ただし、こうした形態から建築をデザインするような作品では、得てして内部の機能は形態に合わせられる、すなわち入れられる機能しか入っていない、あるいは余っている空間に無理矢理機能が設定されるということになりがちである。本作品においてもこの点に関する検討が十分ではない点は残念である。また、既存の街並みとの関係をどのように作るのかといった点についても説明が足りない。